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2008年7月25日 (金)

医療事故に対する弁護士の関与

医療事故はできる限り発生を避けるべきであり、避けるための英知を結集すべきであるが、医学的論拠なくして、感情的に医師の責任を追及をすることは許されないし、何も解決にならない。
医療事故に遭われた方の大変さは、医療過誤訴訟を受任している私も本当によくわかっているが、だからといって、医学的根拠を詰めた検討をしないまま民事訴訟をしてはならない。患者さんにとっても、無駄な裁判を抱え込んでしまうという意味で経済的精神的にさらなる苦痛を強いられることになるし、誠実に治療を行ってきた医師に対しても経済的精神的なダメージを与えてしまうことになる。
しかし、残念ながら、弁護士人口の増大で、医療過誤分野についても医学的根拠が乏しい民事訴訟の提起が増える可能性がある。着手金ねらいで無理な訴訟が増えると思われる。現に、医療過誤訴訟の分野でも、なぜこのような訴訟を起こしてくるのかと疑問に思う訴訟が増えているように思われる。
医療機関は、医療過誤を発生させないだけではなく、医療過誤ではないのに医療過誤と誤解されるような事態を避けるような、たとえば患者さんとのコミュニケーションの充実等をしていく必要が自衛手段として求められるであろう。
もちろん、注意義務違反が明らかなケースも少なくない。これらについては法的責任を追及して、患者さんの権利救済をしていくために弁護士は奮闘しなければならない。

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医療安全調査委員会

厚生労働省は、医療死亡事故原因究明を行う第三者機関として医療安全委員会(仮)を設置しようとしている。これは、医療過誤か合理的説明がつかない死亡事故について、調査を行い、医療機関は調査委員会への通報を義務づける。
しかし、これには問題がある。調査の過程で故意や重大な過失、過失事故の繰り返し、診療録の改ざんなどがあった場合は、委員会から捜査機関へ通知を行うという点だ。上記のように通報義務が課せられるにもかかわらず捜査の端緒になってしまう可能性があるのは、刑事責任に関して、言いたくないことは言わなくてもいいという黙秘権の侵害となるのではないか。厚生労働省は、医療関係者の責任を追及するものではないとして、謙抑性を強調するが、当てにできるものではない。黙秘権を確保できないのであれば、刑事責任追及に調査報告を使ってはいけない。
第三次試案については、医師会や医学関係の学会などで議論となっており、内科学会などでは大筋で賛成しているが、現場にたつ医師たちの意見が通っているのであろうか。弁護士の場合の日弁連と同じように、現場の声が反映されていないのではないか。
我々弁護士は、あまりこの医療事故調査委員会に意識を向けていないが、かような重大な法的問題がある以上、法律専門家としてもっと注目し、意見していくべきではないかと思う。

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2008年7月22日 (火)

応召義務

医師には、応召義務がある。医師法19条1項には、診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならないとされており、診療の求めがあった場合には、原則として応じなければいけない。これに応じなければ、民事上の損害賠償請求がなされることになる。ちなみに、弁護士には応召義務はなく、自分に合った事件なのか否か、また依頼者との相性などを勘案して受任することができる。
ところが、最近、患者が診療報酬を払わなかったりする事案や、医者に対して暴言を吐いたり、暴力をふるったり事案が増えている。かような問題のある患者に対して、医師は診療を拒否することができるであろうか。裁判所の判決も少ない分野であるが、医師法19条1項との関係では、即座に拒否をすることが許されるか問題ではある。少なくとも治療費が不払いだからといって診療しない場合は、正当理由なしとされる可能性が高いであろう。
では、医師は不払いでも、殴られても治療しなければいけないのであろうか。それはあまりにも理不尽である。医師法19条1項には正当理由があれば、応召義務がないことになるが、正当理由というのは不明確であり、あまり判例が蓄積されていないところでもある。
そこで、対応策として考えられるのは、治療費不払いについては果敢に請求をし、支払わなければ民事訴訟などの法的対応も辞さないといった強硬な対応が勧められる。また、暴力患者については、民事保全法による接近禁止の仮処分などの法的手段を用い、患者側が法的に接近できないような処置をも考えられる。
ただ、このような対応を医師自身にさせるのは、貴重な人的資源の浪費でしかない。しかし、多くの病院では問題患者に対して、医師に対応させているようだ。
このようなときにこそ、紛争処理の専門家である弁護士に依頼をすべきだと思われる。
この国のマスメディアは、救急治療のたらい回し(これもかなり誤解のある表現であり、受け入れられない理由は、法律家の立場からすれば、十分聞くに値することが多い)ばかり報道しないで、かような医療を受ける側の問題点も指摘していくべきであろう。

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2008年7月21日 (月)

日弁連の法曹人口に対する提言に関する町村官房長官の発言について

昨日か、日弁連から法曹人口の増員計画の見直しについて緊急提言をしたが、これに対して、町村官房長官は、日弁連の見識を疑うとした。その内容としては、自分たちの商売の黒字が保てないからといって、急に見直しを求めることを批判した。
しかし、我々は、法的サービスを提供する民間人であり、その民間人が自分の経営状態を気にすることが何が悪いのであろうか。黒字が保てなく赤字になる、それが外部的な要因で自分たちの正当な努力ではどうしようもないレベルの問題のときに、業界でその点について指摘する(今回の日弁連の提言はその点をふれていないある意味不十分な者ではある)ことが何が悪いのであろうか。我々はたしかに司法試験を合格して司法修習を国家の費用で受けており、ある程度の公的役割は採算度外視で甘んじなければいけないとは思っている。しかし、だからといって赤字まで甘んじなければいけないというのであろうか。
弁護士は、現在、既存の弁護士の約10%近い人員が毎年増員されているという未曾有の増員状態である。かような増員を経験した業界は聞いたことがない。しかも、法曹人口増大を求めた財界は特に法務部を拡充するなど、弁護士の採用に積極的ではない。さらに過疎地については弁護士があまねく存在する状態となってきている。これ以上、何処に弁護士の需要があるというのであろうか。
しかも、今回の法曹人口増大は、法科大学院という法曹養成機関としての責務を果たし得るか疑問視されている機関に対する大量の国費導入がされている。本当に弁護士が足りないのであれば、国費を導入しても増やせばいいが、現に就職難となっている中で、法科大学院への国費投入は、まさしく国費の無駄遣いである。
そして、司法改革における法曹人口増大について、一番努力していないのは政府である。というのは、このところの増員はすべて弁護士が増員されているだけであり、司法システムとして必要不可欠であり、しかも一番人数が足りない裁判官、検察官は何ら増員がされていない。町村氏は、不足気味の裁判官とか不足気味の検察官と。そういうところ全体を日弁連は見ていないと批判するが、そこを見ていないのはむしろ政府であり、町村氏自身の見識を大いに疑う。政府首脳が司法制度改革を何も理解せず、事実関係を把握せずに放言的なコメントをするとは、怒りを通り越して、悲しいものである。

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2008年7月11日 (金)

交渉学

先日から、交渉学のゼミのために東京まで通っている。
これは、弁理士会の研修で開催されているもので、交渉学を講じておられる大学の先生が講師となって、ロールプレイをしながら交渉の方法論を学ぶものである。
我々弁護士は、普段から交渉に携わることが多いのであるが、意外や、交渉について教わることはない。私も、たくさん交渉を行っており、成果を上げてきたと自負している。しかし、もう一度、自分の交渉スタイルを客観的な見地から再確認したいと思って、ゼミに参加することにした。
実際にゼミを受講してみると、まだまだ自分の交渉スタイルに改善の余地があると思った。
交渉学と交渉術との違い、交渉学というのが学問分野として確立していること、交渉学が欧米のロースクールではしっかりと教授されていることなど、そして、交渉の方法論について、ロールプレイを通して学ぶことができた。参加者は弁理士や大企業の知的財産関係セクションの管理職などが中心であったので、これまた新鮮なメンバーで勉強することができた。
次回も楽しみである。

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2008年7月 2日 (水)

駅弁

最近、日弁連の仕事等で東京に往復することが多くなり、6月だけでも3回往復した。往復には新幹線を使うのであるが、新幹線で移動中の楽しみといえば駅弁である。駅弁といえば、最近は色々内容に工夫を凝らしたモノが多いが、京都から乗るときに駅弁を買う場合は、ほぼ100%「萩乃家」で購入する。萩乃家は駅弁の老舗であるが、特に奇をてらった弁当ではなく、きわめて平凡な幕の内弁当である。焼き魚、煮物、出汁巻きなどが入っているのであるが、なぜ私がここの弁当を選ぶかというと、弁当の容器である。弁当の容器が木製の折なのである。木のにおいがごはんについて何ともいえない風合いがたまらない。弁当の容器は最近ではほとんどプラスチック製や発泡スチロール製となっているが、これは匂いの他にも水分を吸収することがないので、ごはんやおかずがべたつくのである。しかし、木製の折は、そうではない。木がうまい具合に水分量を調節してくれる。べたつかず、乾かない。おいしい。
この萩乃家には、幕の内以外にも洋風弁当や中華弁当などがあり、内容自体は平凡であるがすべて木製の折であり、何ともいい匂いがする。
是非弁当を買われる場合には選択肢の一つとしていただければと思う。
その他にも京都駅には、懐石で有名な辻留等の弁当も販売されている。5000円近くもする大変高価なものであるが、ごくたまに自分への褒美として買ってみることもある。しかし、高級なものは口に合わないのか、萩乃家のオーソドックスな弁当の方が、口に合うようである。
萩乃家の弁当は、京阪電車の出町柳や三条駅の売店でも販売しており、こちらは500円と大変リーズナブルになっている。これらももちろん木製の折である。コンビニ弁当の味気なさに比べるとずいぶんいいものであるのでこれまた試してみられたい。
他方、東京からの帰りにはあまり欲しい弁当はないのであるが、幸い、東京駅は大丸や丸ビルの地下に食品の販売店があるので、ここで弁当を買い求めることが多い。大丸であれば、鰻弁当、丸ビルであれば福臨門酒家の暖かくなる豚バラ弁当がお勧めであるが、先日、丸ビルの食品フロアに買い求めに行くと、福臨門のテイクアウトのお店がなくなっていた。かなり残念である。丸ビルには福臨門のレストランもあるが、そこで売っているのであろうか。若しくはやめてしまったのであろうか。調べてみたいと思う。

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